受験合格祈願!学問の神様、菅原道真公と天神様の関係!

現在菅原院天満宮神社に祭られている

天神様として有名な菅原道真公ですが、

実は始まりは天神様とは

別物だったって知ってました?

 

この菅原道真公ではないほうの天神様

というものはそれよりも前から存在しており、

天神・地神信仰とされ、古代から存在していました。

 

いわゆる日本の創造神と呼ばれる神々のことですね。

 

天神・地神のうち、地神はスサノオやその子孫、

または椎根津彦や久延毘古などの国津神を指し、

本来の天神はイザナギやイザナミ、

またはスサノオを除くイザナミの子供神を指します。

 

大きな違いとしては地神は民間信仰の中で生き延び、

天神は社殿を持つ神として今なお

信仰の対象とされています。

 

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菅原道真公と天神様

菅原道真公とは?どんな人?

菅原道真公は平安時代の貴族であり、

学者であり、漢詩人であり政治家であった。

 

忠臣として、またあまりにも才能豊かであり、

時の天皇、宇多天皇に重用され、

さらには醍醐朝では

右大臣にまでなるに至ったということでした。

 

しかしその後藤原時平の讒言(ざんげん)により

大宰府へ権帥として左遷という形で配流されて(昌泰の変)

大宰府で病により39歳に生涯の幕を閉じることとなりました。

 

菅原道真公と天神信仰

きっかけは?

菅原道真公がなくなってから40年後・・・

京の都では天変地異が発生し疫病がはやり

特に落雷の被害が強くさらに次々と病死。

 

さらに930年朝議の最中であった清涼殿が落雷を受け

菅原道真公の左遷に関与した要人

多数の死傷者を出すこととなりました。

 

道真の祟りだと恐れた朝廷は、

道真の罪を赦すと共に贈位を行った。

 

ということです。

 

天神信仰との関係

清涼殿落雷の事件から

菅原道真の怨霊は雷神と結びつけられ

以降、百年ほど大災害が起きるたびに

菅原道真の祟りとして恐れられました。

 

また、火雷天神が祭られていた京都の北野に

北野天満宮を建立して祟りを鎮めました。

 

こうして、「天神様」として信仰する

天神信仰が全国に広まることになり

やがて、各地に祀られた祟り封じの「天神様」は、

災害の記憶が風化するに従い

道真が生前優れた学者・詩人であったことから、

後に天神は学問の神として信仰されます。

 

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