荒ぶる神発祥 茅の輪とチマキ? 諸説いろいろ紹介!

京都祇園祭のチマキといえば

何も言う必要がないほど有名です

包みをはいで中のおもちを食べ、残りはゴミ箱へ

おいしく食べて、きれいに分別がマナーですね!

 

ところで!

 

ひとえにチマキとは言いますが、

実際はチマキのこと、包みの中のおもちがおいしい

ということ意外にはどれぐらいご存知でしょう?

 

例えばチマキを巻いてる緑の葉っぱのことを

皆さんはご存知でしょうか?

 

チマキのことを詳しく知ればもっとおいしく!

もっと楽しく食べることが出来ますよ!


チマキの概要

チマキはもち米やうるち米、米粉で作られたおもちで、

元々のルーツは日本ではなく支那、中国となりますが

日本と支那、中国の2国にのみというわけではなく、

沖縄や東南アジアにおいて似たような食べ物が多数あります。

 

米を主食にしてると食べるものも似てきますよね!

 

形状は三角形か円錐型で

笹などの葉でぐるぐる巻きにしてあります。

 

チマキがほかのおもちと違う点は

巻いた葉っぱごと蒸すか煮るかして加熱します。

 

日本に伝来したのは平安時代のころとされ、特徴としては

日本で作ったちまきはおもちが米粒の原型をとどめておらず、

支那、中国のちまきは米粒が原型を残しているとともに、

しいたけなどの具が混ぜ込まれています。

 

携帯食として考えると日本の具が入ってないものよりも、

小さな子供さんですと、米以外の混ぜ物が含まれているほうが

食べやすくて好ましいのではないでしょうか?

 

日本のチマキの歴史

先ほどまではチマキが日本以外では

どういうものであったかということでしたが

ここからは日本国内のチマキの話をしますね!

 

日本で最初にチマキが出てきたのは

承平(じょうへい)年間、

西暦では931年~938年の間とされています!

 

約1080年ほど前の話になってしまいますが

2674年も続く日本からすれば半分より手前ですね!

 

ちょっと話がずれましたね。。。

 

当時チマキがあったとされたのは

倭名類聚鈔」(わみょうるいじゅしょう)

という書物に「和名知萬木」という名で項目があります。

 

ちなみに「倭名類聚鈔」というのは当時でいうところの辞書だそうで

1080年も前にはもう辞書があったのですね。

 

そして「倭名類聚鈔」にかかれている内容ですが、

和名知萬木ということで辞書にはダイレクト

わめい ちまき とかかれているのですね!

 

11世紀弱も名前が変わっていない、すごいことです。

 

当時の製法も倭名類聚鈔に記載されていまして

もち米を植物の葉で包み、これを灰汁(あく)で煮込む

・・・とかかれています。

 

ちなみにこちらでかかれている灰汁とは、

現在で言うところのアクではなく、

灰(藁灰や木灰)を水に浸して

上澄みをすくった液のことです!

 

用途としては殺菌や防腐加工のためですが、無添加!

当時のチマキは保存食であったということですね。

 

このような小さなところからでもチマキを通じて

当時の生活をうかがい知ることが出来きるので、

当時に思いをはせながら食べるチマキは

また格別なものとなるのではないでしょうか?

 

しかし、せっかくですので少しでも楽しめるため、

ここからはチマキの種類を紹介していきます!

 

チマキの種類

一口にちまきといってもいくつか種類があるのではないかと

少し調べてみました!

大きなくくりで4つの種類があるようです。

 

  1. 蒸らしたコメを杵でつき、もち状にして
    マコモの葉で包んだ後、イグサで縛り煮た物

    クチナシの汁を使って色を付ける場合もあるそうです。
    こちらのちまきは4番目を簡略化した製法であるものの

    新潟県などでは三角ちまきとして現在でもよく食されるもので
    うるち米の粉でもちを作ったあと笹の葉やマコモの葉で包み、
    包んだ葉っぱごと茹でるか、もしくは蒸篭(セイロ)で蒸して
    おいしくいただく作りになっています。
    食べ方はそのまま食べるかきな粉や砂糖を混ぜた
    甘辛いしょうゆ味で食べるのが伝統のようです!
  1. うるち米の団子を作り、笹の葉でくるんだもので、
    御所粽(ごしょちまき)、
    もしくは代理粽(だいりちまき)
    とも呼びます!

    このタイプのちまきが祇園祭のものや和菓子屋で売られている
    現在の皆さんがよく知るちまきの原型とされています!
  1. もち米で作ったもちを藁で包んだ飴粽(あめちまき)
    もしくは糖粽(とうそう)と呼ばれています。
    名称の由来がいくつかあり、大まかな分類上3つを紹介します。
    1つ目は1697年、日本の食物全般について、
    品名を挙げその性質、能毒、滋味、食法その他を詳しく説明した書籍、
    本朝食鑑(ほんちょうしょっかん)による記述では
    チガヤに包むことで色素が転移し、
    粽餅が飴色(やや明るい褐色)に染まったものとされています。
    この製法は次に紹介してます製法4に似ており、
    鹿児島地域にある「あくまき」に似ています。
    次に2つ目はチガヤで巻いた粽餅に水飴を塗布したものとされています。
    最後の3つ目は奈良時代に記されたとされている日本書紀により
    神武天皇が製造したとされる「タガネ」を表したものとしています。
    作り方は2の説で使われた水飴を煮詰め、冷却し
    固形にした現在市販の飴に似たつくりの物を
    竹の皮に包んだものとしています。
    3番の製法ではちまきの定義からは大きく外れているのではないでしょうか?
  1. 山茶花(サザンカ)の根っこを焼いて作った灰汁を用いて
    もち米を湿らせたものを材料として

    そのままもちを作り藁で包んだものもちまきとされるようです。
    こちらのちまきは駿河国朝比奈の名物だそうです。
    特徴としては現存するちまきの中ではもっともオリジナル、
    原型となったちまきに近いもののようです。
    特に灰汁の特性を利用した保存と品質維持を主目的とした
    携帯保存食とされています。
    現代の日本国内においては
    鹿児島県で作られる「あくまき」や「つのまき」、
    長崎県で作られる「唐灰汁ちまき」、
    新潟県の「灰汁笹巻き」がよく似た製法です。
    ただし、現在のところ朝比奈ちまきは作られていることはない!
    ということで、お店で食べることは出来ないようです。
    また、欠点として携帯用食料であることから灰汁のにおい、風味によって
    好き嫌いがはっきりすることです。

 

 このような経緯と製法から現在のチマキへとなっています!

 

祇園祭のチマキを紹介!!

祇園祭でのチマキの由来

詳細は若干不明な部分がありますが、

祇園祭で手に入るチマキの由来とは

昔、素盞鳴命が旅で一夜の宿を求めたとき、

貧しい蘇民将来の家で受けたもてなしに対し

そのお礼として蘇民将来の子孫には

疫病の厄を免れさせようと約束し、

そのしるしとして茅の輪を腰に付けさせた。

 

という伝承が粽のおこりとされています!

 

富福な家の兄は素盞鳴命の宿泊を断わったとのこと。

 

チマキの取り扱い

八坂神社の古いお札等を納めるところがあるので、

そこに納められたら良いとされ遠方の方については、

近くの神社にも古いお札を納めるところがあれば

感謝の意を込めた後、そこに納めらたら良いようです。

くれぐれもいい加減に扱わないでください!

コメントを残す

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)

このページの先頭へ