悲劇の英雄と世界史上1人しか成し遂げた事のない偉業?

今回は韓国のお話です。

皆さんは韓国と聞くとキムチや、

韓流といったものを連想されると思います。

 

そんな韓国ですが、現在かの国では

歴史上の偉人として人物があまりに少なく、

近年では安 重根という人物が

前面に押し出されています。

 

ちなみにこの安 重根という人物、

一部では超有名な犯罪者だったりします。

 

今回はそんな安 重根という人物と、

当時の国際事情はどういったものであったのか?

 

そして存在を抹消されてしまった悲劇の英雄を紹介します!

 

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韓国を含む当時の世界事情とは?

まず初めに彼が活動を行っていた時代というのは

1879年のことで第二次世界大戦、

大東亜戦争とも太平洋戦争とも呼ばれる

大きな戦争が始まった年となります。

 

当時の韓国は力もお金もなく、また資源も少ない

貧しい最貧国として位置付けがされていました。

 

そして日本では帝国主義の元、富国強兵が推し進められ

欧州列強に追いつけ追い越せと軍拡を行っていました。

 

しかし、当時の日本は頭が痛くなる問題をかかえていました。

 

それは韓国の存在です。

 

ちょうど韓国の立地上、北は旧ソビエト連邦、西は当時は清国。

 

そうです、韓国は共産主義に対抗すべく必要な

最終防衛ラインであった

ということです。

 

そういった事情もあり、当時の日本では

手中に収めても赤字にしかならない韓国ですが、

併合して何とか共産主義に抗おうということになります。

 

併合後はある程度の国力を韓国が持つことになれば

韓国で出来ることはすべて韓国でまかなうことが出来るように

ということで当時の日本は

韓国の独立独歩を支持していたようです。

 

そして併合の話が大きくなり、あと少しで話がまとまる

といったときに彼、安 重根が台頭することとなります・・・。

 

安 重根とはどういう人物なのか?

先ほどチラッとだけ紹介しました安 重根ですが、

なぜ一部では超が付く有名なのでしょうか?

 

それは彼が行った犯罪行為に端を発することになります。

 

安 重根が行った犯罪とは?

当時の日本と韓国は共産圏から身を守るため

ともに戦おうということで併合の話が進んでいました。

 

そしてどうしても併合の流れを

止められないところまで来てしまったことで

安 重根は考えました。

 

国のトップがいなくなれば、

話が立ち消えるのではないか?と。

 

そして1909年10月26日、当時の清国

ハルビン市で伊藤博文を暗殺しました。

 

そして現在、安 重根は200ウォン切手になっていたりします。

ちなみに当時の総理大臣である伊藤博文は

そんな韓国の併合に反対していました。

 

そのため安 重根による暗殺が決定打となり、

韓国併合はあっという間に成立します。

 

皮肉にも、併合させないための暗殺により、

スムーズに併合が達成されることになります。

 

しかしこの併合により現在の韓国が残ることになりました。

 

しかし、韓国ではそんな犯罪者を英雄としています。

 

ですが、本当に彼を救国の英雄として祭り上げる必要が

本当にあったのでしょうか?

 

いいえ、そんなことはなかったのです!

 

韓国にも誰に見られても恥ずかしくない

しっかりとした英雄が2人も存在するのです!

 

1人目は清国から韓国の独立せしめた者!

 

2人目は世界中どこを探しても

ただの1人も成し遂げた事のない

とてつもない偉業を成し遂げた

伝説的な英雄です!

 

たったの2人ですが、

確かに偉業を成し遂げた人物が存在しているのです!

 

世界に誇る救国の英雄とは?

ここでは順を追って紹介したいと思います。

 

まず1人目の、韓国の独立を成功ささた偉人を紹介します!

 

その次に、今回の話のメインとなります、

世界で1人だけの偉業を成し遂げた偉人を紹介します。

 

清国から韓国の独立をせしめた者とは?

韓国を独立に導いた英雄の名は金 玉均

「きん ぎょくきん」と読みます。

 

ちなみにこのような人です。

最近になって韓国のドラマで登場したりしてましたが

ほとんどの人は見たことも聞いたことも

ないのではないでしょうか?

 

それもそのはずです、なんと彼は自国内において

その存在ごとすべてが抹消されてしまっていたためです。

 

では彼はどのような偉業を成し遂げたのでしょう?

 

金 玉均の成し遂げた偉業とは?

金 玉均が活躍した時代は1884年

明治17年のこととなります。

 

金 玉均が活躍しだす前の1879年代

彼はなんとあの福沢諭吉と繋がりを持ち、

さらに福沢諭吉から後援まで受けていました。

 

なぜ福沢諭吉が金 玉均を支援していたかというと、

当時の福沢諭吉は日本と韓国はともに栄え、

東アジア共栄圏を作るという理想に燃えていました。

 

そして1884年、明治17年に当時韓国を支配していた

清国が清仏戦争でフランスに敗退する

という出来事が起こります。

 

当時の敗退を好機と見た金 玉均

日本の竹添公使の協力を得てクーデーターを起こし

見事、韓国新政府を樹立することとなります。

 

しかしとにかくメンツを気にする清国です、

フランスに負けたばかりでさらに属国の独立まで

許してしまう事など到底許すことが出来ません。

 

そういった理由から清国から朝鮮平定のため、

過剰なほど大量の戦力を投入されることとなり

わずか3日で再度属国になってしまいました。

 

その後、日本へと亡命し事なきを得たかに思われましたが、

仲間の裏切りにあい、清国政府へと突き出され

六支の刑と呼ばれる処刑が行われてしまいます。

 

この話は当時、金 玉均を支援していた

福沢諭吉の耳にも入ることとなります。

 

この事件以後、福沢諭吉は深い絶望に飲み込まれ、

脱亜論などの著書を筆頭に反特ア思想へと傾倒していきます。

 

時系列的にはこちらが先の出来事で

その後に先ほどの安 重根の事件が起こります。

 

そして、時代は再度進み、もう1人の主役へと、

世界でただ1人だけの偉業を成し遂げた

英雄の話しへと移ります・・・。

 

物語は韓国併合後、日本が敗戦を喫した戦後の朝鮮半島

時は朝鮮戦争のさなか本土の90%を

金 日成率いる北朝鮮軍に奪われ

残された土地は釜山のみ、敗戦濃厚の状況から始まります・・・。

 

90%の国土を失いながらも劣勢をひっくり返した英雄

 

戦いの中身を知られると非常にまずいためか

韓国国内における朝鮮戦争は日本と戦って勝利し、

独立を勝ち取ったことになってるようですが、

真実は全く違います。

 

しかし朝鮮戦争においては韓国以外のどの国を調べても

ここまでの劣勢から国を救った英雄は古今東西存在しません。

 

ではなぜここまでの窮地に陥ったのでしょうか?

 

当時の朝鮮半島の君主は日本国内のホテル住まいをしており、

朝鮮を治めていたのは李 承晩という後の大統領です。

 

しかし、日本がアメリカとの戦いに負け、敗戦が決まった後、

ロシア、当時のソビエト連邦の支援を受けていた

北朝鮮の金 日成から韓国の領有権を巡る話が

マッカーサー率いるGHQへと振られます。

 

当時のGHQは極東の世界事情など知ったことではなく、

当然、好きにしたらいい旨の返事を返したのですが、

このことが結果南北を分かつ引き金となるのです。

 

そしてマッカーサーが認可を出して7日後、

日本が共産主義と対峙しており、さらに朝鮮半島が

アメリカへの最終防衛ラインであったことに気づきます。

 

しかし1週間の間に李 承晩率いる南部の部隊はすでに

国土の90%を喪失していたのです!

 

なぜたったの7日でと思うでしょう?

 

ではなぜか?

 

なんと驚いたことに当時の最高責任者である李 承晩

真っ先に逃亡してしまったためです。

 

そして気がつけば朝鮮国内において日本に一番近い都市といわれる

釜山を残すのみとなっていました。

 

この釜山が残っていた理由も、単にアメリカ軍を主軸に置いた、

今で言うところの国連の主席国家による連合軍が

動きを見せることなくただ駐在していたためです。

 

この駐在していた軍ですが、建前上は

「戦略的に時間をかせぎつつ大兵力がたまるのを待つ」

というものでしたが、本音はと言うと・・・

「韓国軍が連戦連敗、敗走しているのに

せっかく先の対日本戦で生き残ったものを

なぜ命がけで北朝鮮と戦わなければならないのか?」

という、先の大戦での傷が余りに大きすぎたため、

無駄な戦いはもうしたくないといったものでした。

 

しかし、つい先日まで日本軍として戦い続けてきた韓国兵が

なぜここまで脆くも敗れ去っていたのかというと・・・

 

なんとこの李 承晩という男、日本が嫌いであるというだけで

元日本帝国兵の朝鮮人すべてを閑職に追いやっていたのです。

 

当然、本来の力を全く出すことの出来ない部隊です、

彼ら元日本帝国軍兵は無駄に命を落とさないよう注意を払い、

自らの活躍の場を待ち続けることとなります。

 

このような経緯の元、釜山まで追い込まれることになります。

 

このような地獄絵図の中、ついに現れることになります。

 

ええそうです、絶体絶命の状況にありながら

ヒーローは遅れて現れるのです!

 

救国の英雄それは・・・!

 

韓国が誇るべき英雄とは?

国家壊滅の寸前で現れたのは

金 錫源(キム・ソクウォン)

という人物です。

 

一般にはこのような話が出回ることがないため、

ご存知のない方がほとんどではないかと思います。

 

が!しかし皆さんはご存知でしょうか?

 

南鮮には先の戦争で国家存亡を賭けて戦い抜いた

元日本軍将校と、ともに戦った兵士達の存在を!

 

そうです、先ほど紹介しました金 錫源という人物、

彼は漢城出身の生粋の韓国人です。

 

そして彼、金 錫源の経歴は圧巻の一言です。

 

日本の陸軍幼年学校、陸軍士官学校を経て、

満州事変やシナ事変では一個大隊を率いて

清国軍を殲滅し、朝鮮人としては初であり、

生存している佐官クラスでは異例の

功三級金鵄勲章を天皇陛下から授与された!

このような輝かしい経歴の持ち主です!

 

しかし、そんな彼をしても当時の劣勢具合から

「GHQからは援軍は出せない」

ということを突きつけられてしまいます。

 

それもそのはずです

今日における軍規定では損耗率は30%を超えると

壊滅、もしくは全滅とされています。

 

まさに四面楚歌、孤立無援のこの状況下、

しかも国土は90%を失い、

さらに相手は当時のソビエト軍装備を持つ

北の金 日成の軍、戦力の差を考えれば

国土回復をあきらめたとして誰からもその責めを

受けることはありません。

 

しかし、しかしです!

 

壊滅、もしくは全滅とされる以上の損耗率でありながら

そのような状況下で彼、金 錫源はこう語ります・・・。

 

日本軍を破った男が日本軍を指揮するのか。

よろしい。

日本軍が味方にまわればどれほどたのもしいか、

存分にみせつけてやりましょう。

 

援軍が出ないということを突きつけられた

金 錫源ですが、そこで彼は軍刀の柄を叩き

このような事を言ってのけます。

 

その後、金 錫源には軍の部隊を編成する許可が出ます。

 

そして金 錫源は元日本帝国軍の兵であったメンバーで

1個師団(1万人から3万人)の部隊を編成します。

 

編成後、一気果敢に決着をつけるべく反撃に出ます。

 

金 錫源が指揮する師団による戦いはすさまじく

陣頭には金 錫源の姿があり、常に陣頭指揮をしていました。

 

金 錫源の陣頭指揮による士気高揚もあってか

一気に戦況を巻き返すものの、

いろいろな思惑が交錯する中北緯38度戦を境界とし、

停戦協定後今日に至ることとなります。

 

だいぶ内容を省略していますが、

詳細に書くとあまりに長くなるため

後日にでも別途記事として紹介します。

 

さて、どうだったでしょうか?

 

全員が全員それぞれに

日本とかかわりを持つエピソードがありますが、

紹介させていただいた安 重根と金 玉均、

そして金 錫源ですが、この3名にあって

英雄として冠するべくは誰か?

 

なぜ韓国においては安 重根の評価が高いのか?

 

それはやはり韓国における国民感情より優先される、

上層部の保身によるところがあるのではないでしょうか?




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